管理人自己紹介と理念
こんにちは、スザンヌみさきです。
本名はワサダというのですが、ネットでは「スザンヌみさき」と名乗っています。
私は世間一般で言うニューハーフです。
元男です。 生まれた時は男の子でした。
今は、日常生活も社会生活も女として過ごしています。
親しい友達には私がニューハーフであることは話していますが、
家の近所の人とか、趣味の三線サークルの仲間にはニューハーフであることは隠しています。
別にバレても問題はないんですが、わざわざ説明するのが面倒なので
向こうが気づくまで黙ってるスタイルです(笑)
ですが、今の所自分から言わなければニューハーフだってことはバレていません
ネットでこれだけ堂々と顔出ししているんですが、近所の人は全然きづくそぶりもありません。
今現在、私はネットでお金を稼いでお金を稼いでいます。
まだまだ個人事業主ではありますが、一応社長みたいなことやってます。
なので、どこかのニューハーフクラブでは働いていません。
ニューハーフだという理由で一般企業に就職できない…
みたいなこともありません。
自分で事業を立ち上げているので、就職難な時代でも関係なく仕事してますし
クビになるとか差別にあうとかそーいうのもないです。
仕事はネットを活用しているので、住む場所には限定されません。
また、自動化している部分が多いので自分で働かなくても収入はあります。
(※その話は別のブログで詳しく話しています。)
とりあえず今は女性として生活するのが当たり前過ぎて
生まれた時は男だったとか、忘れてしまいそうになるくらい女で生きてます。
声はボイトレで女性声を手に入れたので、人前で喋っても何の問題もありません。
むしろ、声が女で通用するので、誰も元男だとか、チ○コ付いているとは思わないようです。
また、ニューハーフであることを伝えているのに、
男友達も、女友達も私のことを女性扱いしてくれています。
これはホントにありがたいなぁと感じます。
旅行先での宿も予約時は女性にマルつけますし、
宿でなにか言われたこともないです。
初めて会った人は100%私のことを女性だと思うようです。
女子トイレも普通に使うし、駅のトイレ行列にも堂々と並んでます。
女性専用車両とか、レディースデーとか、女性は割引とか
そういう女性限定のサービスも普通に受けてます。
…自慢ぽくなってきましたが、今の現状はこんな感じです。
とはいえ、私は生まれつき女ぽかったとか、身体が華奢だったとか
そういうのは全然なくて、むしろ逆でした。
身長は今174cmあります。
日本人男子の平均身長より少し高めなので、男子としてのスペックは普通
しかし靴のサイズは28cmと大きく、同じ身長の男性よりも少し大きめです。
また、中学生の時に柔道部に入っていたので、体格は大きかったし
筋肉もついていたので、周囲には(体力的に)頼られる存在でした
九州男児ということもあって、体毛も濃かったですし、骨太です。
そんな私も、今まで努力と行動を重ねてきたので、なんとか今、
やっとこさ女性で生活できるようになりました。
世の中にはキレイなMTFさんがたくさんいるので
私なんてまだまだだと自分では思っています。
こんな話をすると「ウソでしょ?」と言われるんですが
紛れもない事実です。
私はあまりにも自分が男らしかったため、見た目を女性にすることはおろか
女性で生活できるなんて夢のまた夢だと思っていました。
また、声も低くて、声が低いコンプレックスのせいでコミュ障でした。
コミュ障だし、人見知りだし、行動する勇気がなかったので
ビビってばかりだったんですが、勇気がないなりに行動を続けて
女性として生活できるようになっていきました。
過去の私と同じように、悩んでいるMTFさんは多いです。
そんな悩める人の役に立てたら嬉しいなと思って私はこのサイトを作っています。
そして、私は生きる上で大事にしていることがあります。
それは
「一度しかない人生を自由に豊かに楽しく生きる」ことです。
人生は一度しかありません。
輪廻転生を信じている人も信じていない人も。
現世の生活は一度きり。
今の自分としての生活は一度きりです。
そんなたった一度しかない貴重な人生を苦しみながら生きるのか?
楽しくて豊かで幸せなものにするのか?
それは自分次第です。
わたしはせっかくこの世に生まれてきたのだから、
この人生を楽しくて豊かで自由なものにしていきたいです。
周囲が反対しても女になったように。
周囲に左右されっぱなしでは、自分らしさや自由はつかみ取れません。
男が女になるのは非常識…かもしれませんが
常識に従って生きて苦しむのは誰なのか?
よくよく考えたら自分だけが苦しみます。
周囲は責任を取ってくれないわけです。
MTFに対する世間の目は、まだまだ差別や偏見が多いかもしれません
しかし、そこで落ち込んでも苦しいだけです。
苦しいことよりも楽しいことを見つけて生きていきましょう。
幸いなことに、批判する人がいれば、同じ数だけ賛同する人もいるのです。
世の中に同じ数だけいる
批判者
賛同者
そのどちらに目を向けて生きていくのか?
たったそれだけで人生の楽しさは変わっていきます。
また、私は「豊かさ」を求めて生活をしていいます。
ご存知と思いますが、MTFが生きる上ではお金がかかるのです。
ホルモン代にはじまり、手術代、美容代などなど…
美しさを維持するためにはお金がかかる!
というわけで今は自営業として生計を立てています。
会社員時代よりも収入も増えました。
なにより、今の生活は自由です。
私は仕事がら、多くのMTFさんとお会いするのですが、
多くの人が就職や仕事で悩んでいるようでした。
・就職先がなかなか見つからない。
・職場で遠回しに差別されている
・ニューハーフクラブくらいしか働き口がない
・戸籍も女性にしてるのに男扱いされてしまう…
これでは女で生きようと努力すればするほど生活が苦しくなるばかりですね。
人生を楽しく自由で豊かに生きるには
・金銭的自由
・健康的自由
・精神的自由
・時間的自由
以上4つが必要と言われています。
お金がないと食事も満足に取れないし、仕事しまくらないといけないので
時間的な自由も失います。
また、働きすぎると心も身体も病んでいくし、
MTFの場合は差別されることもあって余計に精神も健康もお金も失います。
なので私はいまお金を稼ぐことや収入を増やすことに夢中です。
まだSRS手術をやっていないので、早いところSRSやっちゃいたいというのも理由です。
このサイトは女体化に関することを書いているので、
あまりお金の話はしませんが、メインブログでは書いているので
興味があったらどうぞ。
話が脱線してきました(汗)
このサイトの情報を得るにあたって、私の過去の話を知っていたほうが
より書いてある情報の理解も深まりますし、
私がどうやって男から女になったのかを話しておいた方が
1つの例としても参考になると思っています
という訳でわたしの過去のお話を今からしていきますね
男らしい毛ダルマになることが美徳とされた国
私は熊本県球磨郡(くまぐん)という山奥の田舎町で育った。
東海地方や、関東地方に住んでみて感じたのだが、
九州は「男らしさ」ってのをけっこう大事にする地域だった
「九州男児」という言葉もあるように、九州は男は男らしく!
ってのがかなり強い。
その影響なのか知らないが、中学生の男子生徒はみんな丸坊主
という「校則」があったくらいだ。
私は小学生ながら中学生に備えようとして、小学5年生の時点で
自分の意志で丸坊主にしていた。
3つ年上の兄と5つ年上の兄も中学生に入り丸坊主にしていたので
そういうものだと思っていたし、自分は男の子だから当然だ
と、さえ思っていた。
自分は男なんだから、男らしくするのが当たり前だ
女らしいことなんて嫌いだ、気持ち悪い!
それくらいの気持ちで生きていた。
今とは全く逆ですね(笑)
今もそこまで女らしいことをやってませんが、
当時は「男らしさ」にこだわっていたと思います。
「男らしくない」とか
「女々しい」と言われることが恥だと思ってました。
今は可愛いものが好きだし、女らしいことも好きです。
スカートを履いたり、メイクしたりすることもあります。
髪の毛も伸ばしてるし、お肌の手入れなどもしてて
自分がキレイになるのは楽しいと素直に感じます。
キレイになることは大好きなので、美容外科にもしょっちゅう行ってます(笑)
もちろん、こんな風になるまでにはたくさんの葛藤がありました。
自分は男なのに!
男らしくしなきゃ!
女々しくちゃダメだ!気持ち悪い
などなど、自分で自分の首を締めるような価値観を持っていました。
スカートなんて履きたくない!って思ってました。
好きなアニメはセーラームーンじゃなくて「ドラゴンボール」でしたし
女の子より、男の子の友達の方が多かったです。
遊びや趣味も男の子らしくて、エアガンなどのミリタリー系も好きでした
というより未だに好きです(笑)
大人になった今でも男性に混じってサバゲーして遊んでます。
そんな男らしい自分がいるのにもかかわらず、
身体が男らしくなることに嫌悪感を持ってしまう自分。
趣味も性格も男っぽいのに、心の奥では女性に憧れる自分
矛盾してるかのような心に私はものすごく悩んだものです。
しかし、高校時代に色々な本を読み漁って性同一性障害について
学んでいくうちに、たとえ自分の性格が男っぽくても、
恋愛対象が女性でも、問題ないということを知っていきました。
性自認と性対象は関係ないというやつですね。
それを知って少しずつ私は自分の矛盾が矛盾じゃなかったと気づけるようになっていきます。
そして、自分の性格は1つの個性なんだと感じられるようになっていきました。
「私は女として生きて行きたい」
その気持ちがあれば問題ないことがわかりました。
今は多少男っぽい性格がありますが、それでも女性として
社会に溶け込んで問題なく生活しています。
悩みに悩んで男で生きる道を選ぶ中学生
話が脱線してきたので、話を戻そう。
小学6年生の頃だった。
声がだんだん出しづらくなり、卒業式の歌が歌えなくなっていった。
先生からは「声変わりした子はこのパートを歌ってね」と言われた。
これが「声変わり」というやつか!
本では知っていたが、まさか自分が本当に声変わりするなんて思っていなかった。
そして、中学生になった頃には完全に声変わりが終わり、
私は「男の声」になっていた。
今までは男女の区別というのは服装とか名前だけの違いだとしか思っていなかったが、
中学生になり、制服も髪型も出席番号もすべてが男女別になっていった。
そして、見た目も声も身体も男女の違いが大きくなっていった。
女の子はおっぱいが大きくなって、男の子は声が低くなっていった。
自分も他の男の子と同じように、声が低くなり、体格がよくなっていき
体毛が増えて、腕や足の血管が浮いてくるようになっていった。
この頃は成長期なので、身体の変化スピートがものすごく早いです。
つい先日まで毛も生えてないツルツルの少年だと思っていたのに、
気がついたら大人の男になり始めていた。
「えええ!やっぱ僕男なの!?」
いや、生まれたときからついている立派な男の子だったんですけど、
改めてこの時期に「男」というものを意識させられました。
周囲の男の子達は自分の身体の変化に驚きつつも、受け入れているようでした。
私も最初は身体が変化してるからビックリしてるだけだ。
そのうち周りの男の子達みたいに受け入れられるようになる。
きっとそうだと思っていた。
しかし、声変わりした低い声への違和感は消えなかった。
むしろ、まだ声変わりしていない同級生の男の子が羨ましくてたまらなかった。
なんで自分ばっかり声変わりしているんだろう。
なんで自分ばっかり身体が大きいんだろう
なんで自分は体毛が濃いんだろう。
自分の男らしさへの違和感は強くなっていく。
そして、ふと気がつけば私は女子生徒の胸やお尻のラインばかり見ていた。
自分は変態なのか?エロなのか?
しかし、エロというよりも憧れが近かったと思う。
女性の腰回りと自分の腰回りを比較したり、
鏡の前に立って自分のボディラインを見ていた。
自分と女の子はどう違うんだろう?
なぜ女の子は女の子に見えるんだろう?
なんで僕は男の子に見えるんだろう?
なんでなんで?
なんで自分はこんな身体なんだろう?
日々そうやって悩み続けていた。
毎日毎日悩み続けていた。
中学生時代は1年生から3年生まで、常にずっと悩み続けていた。
なぜ自分は男なんだろう?
なぜ男と女は違うんだろう?
なぜ女の子はおっぱいが大きくなるの?
そうやって自問自答を繰り返すうちに少しずつ自分なりの答えが見えてきた。
もしかして僕は女の子になりたいのか?
おっぱいが欲しい?
声が高くなりたい?
でも、男の子と結婚したいのか?
結婚したらえっちなこともするけど、それがやりたいのか?
子供が生みたいのか?
・・・・
イエスとも、ノーとも言える自問自答の繰り返し。
それは本当に女だと言えるのか?
それは女になりたいと言えるのか?
気の迷いなんじゃないのか?
一時的な憧れなんじゃないか?
自分に対して何度も厳しい質問を投げかけていた。
そして私は自分が女になりたい気持ちはきっと「ただの憧れなんだ」と思うようになった。
自分は女性に憧れているだけで、女になりたいわけじゃないんだ。
だから、もっと男らしくしたらそんな迷いも憧れも消えるかもしれない。
そんな結論に達した頃、私は中学3年生になっていた。
中学3年生になると、進路はどうするか?
という話になる。
私の住んでいた熊本県球磨郡(くまぐん)は田舎なので
高校も少なく、進学する人もいれば中卒で就職する人もいる。
また、田舎だからなのかわからないが、自衛隊へと進む人もいる。
私の家庭は貧乏だったし、家にはお金がなかった。
そんな家庭で育った私は、もっとお金が欲しいと思っていたし、
自衛隊に入れば学校に通いながら給料を貰えると知って、
自衛隊に興味が湧いていた。
小学生の頃からエアガンや戦争ゲーム、戦車のプラモデルなど
ミリタリー系には興味あったのも後押しした。
自衛隊に入れば、寮生活となって、男子寮で数年生活することになるらしい。
身体も鍛えるし、もっと男らしくなるかもしれない。
そんな自衛隊に入れば私の女々しい気持ちは消えると思っていた。
だから自衛隊に入れたらこの先男らしく生きようと思う。
でも
でも
でも、自衛隊に入れなかったら…
女に憧れる自分の気持ちに正直になってもいいかもしれない。
なぜかは分からないが、私は自衛隊に入るか入らないか。
それで今後の人生を決めようとしていた。
そして…
試験の結果、自衛隊には受からなかった。
「ああ、自衛隊に入ったらお金も稼げるのに」
おじーちゃん、おばーちゃんも、お母さんも応援してくれてたのに。
頭が悪くて入れなかった・・・・
しかし、内心わたしはホッとしていた。
自衛隊に受からなかったのは神様が来れたチャンスだとも感じていた。
やっぱりもう一度、男で生きるか、女でいきるか考え直せというチャンスなのかもしれない。
そう思っていた。
髪の毛伸ばせるから。その理由で選んだ高校生
自衛隊に入れなかったけど、高校には入学することができた。
私の地元には5つの高校があるんだが、私はその5つの中で
一番「髪型の規制」がゆるい商業高校に入学した。
先生や家族には「家から近いから」という理由で選んだとうそぶいていたが
本当の理由は、男子生徒でも髪の毛があるていど伸ばせるからだった。
商業高校は、かなり女子生徒比率が高い。
これは全国的にそうらしい。
そんな理由があるからなのかわからないが、地元の商業高校は、他の高校とくらべても
男子生徒の髪型の規則が緩かった。
体育会系な工業高校、農業高校はほぼ坊主が基本らしい。
普通高校もあったけど、私は大学に行く気が全くなかったので普通高校は辞めた。
髪型が伸ばせる。
ただそれだけの理由で高校を選んだとなると周囲にバカにされるかもしれない。
そう思ってナイショにしていた。
そんな高校1年の春。
人生を決めてしまう出来事があった。
その当時、私はマンガが好きでいろんなマンガを読み漁っていた。
(今もマンガは大好きです)
書店で色々マンガを買っていたのだが、買ったマンガのなかに
いまでいう「ふたなり」モノのマンガがあった。
「ふたなりモノ」というのは、生まれつき男性と女性の性器がついている…
という趣旨のエロい系のマンガが多い。
私が読んだ本はアダルトギリギリのマンガだったのだが(汗)
その本の主人公にかなり感情移入してしまう。
男の部分もあれば、女性の部分もある。
そんな姿がまるで自分のようだった。
そして、そのマンガを読んで私は自分もこんな風になりたいんだ!
と、悟ってしまう。
ふたなりになりたいというよりは、女性になりたい。
男の部分もある主人公が女性として生活する。
男に生まれた自分も女性で生活したい!
今まで押し殺しかけていた、自分の心の奥底のホンネが見えた気がした。
中学3年間悩み続けてきた答えが分かった気がした。
私は女で生きていこう。
男で生き続けた今までは、苦しいことの繰り返しだったが、
女で生きると決めてからは、心の中のモヤモヤも取れて
未来が明るくなった気がした。
それから私は自分が女になる方法を調べるようになる。
私が通っていた高校は当時では珍しく
図書室にインターネット用のパソコンがあった。
私はパソコンで「性転換手術」や「性同一性障害」について調べまくった。
「性同一性障害」という言葉は、中学生時代にテレビで放送していた
金八先生でその名前は知っていた。
しかし、今のようにネットが一般的ではない当時としては
性同一性障害が何かを調べるすべはなかった。
関連する書籍も今よりはるかに少ないし、
近所の書店や図書館では手に入らなかった
しかし、高校時代には多少改善されていて、ネットで調べれば少しながら
性同一性障害当事者のブログやサイトが見つかるようにはなっていた。
また、その頃から少しずつ図書室には「LGBT」や
「性同一性障害」に関する本が増えていった
今思えばかなり幸運だったと思う。
私は自分の存在や、自分という人間が何なのか知りたかった。
知りたくてたまらなかった。
そして毎日のように図書室に入り浸っていた。
そうやって性同一性障害について学んでいくなかで
性自認や性指向というものがあり、自分が男女どちらで生きていきたいか?
自分は男女どちらの性別を愛するのか?
それは関係がないし、違っていてもいいということを学んでいった。
そうやって学ぶことで自分の長年の謎が解けていった。
いまこうやってネットで私が情報発信している理由も
当時のように「自分は何者だ?」と悩んでいる当事者が
自分のことを知ったり、悩みを解決できるきっかけになればいいな
そう思って情報発信している部分もある。
色々と情報を調べていくなかで、
女性になるためには手術やホルモンが必要であると知った。
私が生きる熊本県球磨郡では対応する病院もないし、
そもそも情報がなかった
こうなったら田舎を離れて東京や大阪などの都市部に行くしかないなと感じた。
就職先は都会だ。
とにかく都会に行こう。
そう決めた
ブラック企業を乗り越え男らだけの世界へ
高校を卒業した後は、愛知県の居酒屋に就職した。
東京に行こうと思っていたのだが、東京の企業への就職は失敗していた
先生が言った「愛知県は就職先がたくさんある」という話を真に受けて
とりあえず愛知県に就職した。
とりあえず就職してお金を貯めれば、その後に東京にでも行けるだろう。
とにかく就職してお金を稼ぐことが最優先だ。
そう思って愛知県に就職した。
成績も良くないし、資格もなにも持ってなかったので
私は普通の居酒屋従業員として就職した。
後で知ったのだが、日本の飲食業界は全体的に
「長時間労働」「低賃金」が当たり前らしい。
自分の身体を変えるべく、手術するべくお金がほしかったのだが、
長時間労働のわりには給料が安くて、
月末には1万円のお金さえ残っていなかった。
私が働くお店は基本的に10時間労働だ。
労働基準法は1日の労働時間は8時間と定められているが、
仕事中に休憩を自由にとっていいので2時間の休憩が間に入っているものとして
基本的に10時間とのことだった。
はじめてその説明を聞いた私は
「社会人は大変だなぁ、毎日2時間しか休み時間がないんだ…」
と、不安になっていたが
飲食業界の実体はそんな甘いものではなかった
朝9時に出勤して19時まで仕事。
その間休憩時間はないに等しかった。
コーヒーを飲むとか、まかないを食べるとかその程度。
実質30分程度だった。
さらに忙しい時期だと、19時きっかりに帰ることはできず
21時〜23時まで働くこともあった。
給料をもらうまで私は、「余分に働いたから残業手当たくさんもらえるな」と
内心わくわくしながら給料日を待ってたが
は?
ざんぎょうてあて?
なにそれ、おいしいの?たべられるの?
ワタシキイタコトナイヨ?
飲食業界の実体はそんなに甘くなかった。
「残業手当」というのは、遠い昔に偉い人が国の平和を願って
作ったスローガンのようなもので。
それはそれはすごいことだったんだ。
で
えーと?なんの話だっけ?
「ざんぎょうてあて?」それって何?
外国で流行ってるお菓子とかなにか?
飲食業界の実体は甘くなかった。
今聞くと笑い話に思えるが、これはリアルな話なので笑えない。
ちなみに残業手当以外にも、この世には
・しんやてあて
・やくしょくてあて
・ゆうきゅうきゅうか
・きゅうじつしゅっきんてあて
・ぼーなす
というものがあるらしいが、飲食業界の人間にとってそれは
外国のお祭りみたいなもので、「そういうものがあるんだ、ふうーん」
としか思っていない。
笑えないんだけど、これが事実である。
そんな世界で骨を埋めてもいいかもしれないが、
私は「女になる」という夢があったので、
こんな仕事はやってられないと転職を決意する。
もちろん飲食業界にはとても多くのことを学ばさせてもらったし、
人の優しさにも触れさせてもらった
働いている人達はいい人ばかりだし、笑顔もステキだった。
友達ができたり恋人ができたり、先輩にかわいがってもらったり
楽しい思い出もたくさんある。
でも
でも金は稼げない。
金がなくては手術もできず女にはなれない。
だから転職したのだ。
転職したのは愛知県では有名なトヨタ自動車だった。
トヨタ自動車では9ヶ月間働いた
給料はそれなりに貰えたし、家賃や水道光熱費がタダだったので
節約をしまくって毎月15万円くらい貯金していた。
そして、稼いだお金は脱毛や美容整形や手術に使っていった。
私の目標は「女で生きる」ことだった。
お金を稼ぐことでも、楽しく働くことでもなかった。
私は「女になるため」に働いていた。
だから、稼いだお金は「女になるため」につぎ込んでいった。
お金を持っていても、見た目が男だったら人生に意味なんてないと感じていた。
手元に数千万円あっても、男で生きるのなら死んでいるのとかわりないと思っていた。
だから自分にはお金をどんどんつぎ込んでいった。
もちろん自分の中にある「男であること」のコンプレックスが強かったのも理由だ。
とにかく男っぽい自分が嫌だった。
トヨタでは男子寮に住んでいたので、嫌でも自分は男だと思い知らされていた。
寮には共同浴場しかなく、すべて男湯だったから
嫌でも男湯に入るしか無かった。
男のフリをして生活することを強要されている感覚だった。
でも、お金のために仕方なく我慢していた。
「こんなクソ会社さっさと辞めたい!」
心の中ではずっとそう思っていた。
支給された作業着も靴も帽子もすべてが悪かった。
男として働いているから男の制服を着ていたんだが、
社会人になっても男の制服を着なければいけないことが苦痛で仕方がなかった。
制服で男女分けられるのがイヤで居酒屋に就職していたのもある。
しかし、自分の意志で制服がある会社に就職していた。
そんな自分の矛盾した行動が嫌だった。
仕事でつかう従業員名簿にも男と書かれているし、
職場のみんなからは男だと思われている。
男子トイレを使わなきゃならないし、男だから力作業もまかされたりする。
そういうのが嫌なのに、そこで働くことを選択した自分が悪かったし
働き続けることが苦痛でたまらなかった。
だからこそ、休みの日にいく脱毛サロンや、エステなどは楽しみだった。
連休中に手術して睾丸摘出したりもした。
そうやって抵抗していたのだと思うし
負けん気が私の行動力につながっていたのかもしれない。
トヨタの仕事が最後の日。
今までずっと男のフリをして働いていたけど、
もう男を演じなくていんんだ!と心が晴れ晴れしていた。
期間満了で退職する人は、最終日にお別れのあいさつみたいなのがあるんだが
そこで私は「明日豊胸手術してきます」と言って帰ってきた。
気づいていた人もいたけど、その時初めて気づいた人もいたそうだ。
これは辞めた後に元同僚から教えてもらった。
仕事が終わり、帰宅してすぐ私は男の象徴であった制服を脱ぎ捨て
そのままゴミとして捨てた。
男の服を脱ぎ捨てた瞬間の心は本当に晴れやかだった。
思い切ってニューハーフクラブに就職
トヨタを辞めてすぐ私は豊胸手術をして、名古屋市のニューハーフクラブに就職した。
実はトヨタを辞める前に一度面接に来ていて、採用が決まっていたんだ。
なぜニューハーフクラブで働こうと思ったのか?
当時はビビリだったので自分からニューハーフクラブに面接に行こうなんて思ってはいなかった。
むしろ、名古屋にニューハーフクラブがあることも全く知らなかった。
すこし長くなるが、重要なポイントなのでお話する。
それまでの私は超がつくコミュ障だった。
なぜコミュ障になってしまったのか?
それは思春期で声が低くなってしまったからかもしれない。
自分の声を他人に聞かれたくない。
そう思って極端に人前で声を出すこと、喋ることに恐怖を覚える。
そして人と会話することが減る…。
それが原因なのかわからないが、とにかく自分には自信がなかったし、
声に対してはコンプレックスを持っていた。
当時は既に女性ホルモンをやっていたが、女としての自信はあまりなかった。
日常生活もまだまだ男として生活していた。
そんな私がニューハーフクラブに?
めっそうもございませんという感覚だった。
でも、面接に行ったんだ。
なぜ?
実は、私はコミュ障がコンプレックスだった。
できれば人と楽しく会話したいなと思っていたし、接客業をやってみたいとずっと思っていた。
今までは居酒屋の厨房だったり、工場で車作ったり、見ず知らずの人とは会話しなくていい仕事。
転職を機に人と話す仕事をしてみたい、コミュ障を治したいと思っていた。
そんな気持ちがフツフツとココロの中にあったので、トヨタで勤務しながら
土日の休みにアルバイトをしていたのだ。
コンビニのバイトなどでもよかったんだろうけど、わたしはホストのバイトをやっていた。
名古屋の栄にあるホストクラブで働いていた。
なぜホスト?
話せば長くなるが、勧誘があったからだ。
当時ハマっていたmixiというSNSを通して「ホストやってみませんか?」とお誘いが来ていた
誘ったのは栄のホストクラブの店長さん
なんで私のmixiアカウントにホストクラブの店長が?
その理由は全くわからないが、恐らく登録住所が愛知県だったのと、愛知県のmixiのコミュニティに入っていたからだと思う
理由はともあれ、お誘いがあったのでホストをやってみることにした。
それに当時は21歳と若く、
「夜の世界で一度働いてみるのもカッコいいかも?」と思っていたのも理由だ
不安はたくさんあったけど、店長さんがいい人ぽかったので、おためしでバイトしていた。
そして、バイトをなんどかやっていたある日のこと。
私は酔った勢いで「実はブラジャーつけてます」的な話をした(笑)
スポーツブラはトヨタで働いていたときからうっすらバレないように付けていたのだが、
ホストクラブのバイトでは、スーツを着るしあまり目立たないだろうからと思って
ワイヤー入りのぶらを付けていた。
それでホストクラブのバイト中に「面白いことを言え!」という雰囲気になっていた時、
酔っ払っていたのもあって、ブラ付けてます発言をしたのだった。
その時、ホストクラブの先輩は
「マジかwww見せてみろよwww」
と、それなりにウケていたし、お客さんも
「えーー!wwなんでwww」
という感じでウケていた。
私が働いていたホストクラブでは、酔った勢いで全裸になるホストもいるくらい
なんでもありなお店だったので、ノリ的に行けるかなと私も思っていた
その日の営業終了後。
ホストの店長がブラジャーの一部始終を見ていたらしく
かなり真剣な目で私にこう話した
「ミサキ!おまえホストでナンバーワンになりたいんか?それとも女になりたいんかハッキリせぇ!」
私は驚いた。
営業中は軽くサラッと流されていた出来事だったのに、店長は気にしていたからだ。
それで私は、しばらく口ごもった後に、小さなこえで
「女になりたいです…」と応えた。
そして店長はこう、私に行った。
「だったらホストなんかやってんじゃねぇ、明日ニューハーフクラブの面接に行ってこい!」
ハッとした。
店長の言うとおりだった。
私はなんて遠回りをしていたんだろうと思った。
女になりたいと願い、お金を自分の体につぎ込んできて、女性ホルモンもやって
女になることに憧れて行きてきたのに。
自分がやってることは矛盾してるじゃないかと。
女になりたいのなら、女になる道を進めばいいじゃないかと。
そして、私は店長との約束を守るため、翌日すぐに名古屋のニューハーフクラブに面接に行ったのだった。
当時はニューハーフクラブの名前も所在地も知らなければ、
ニューハーフクラブとニューハーフヘルスの違いも知らなかった(汗)
というかヘルスってなに?って思ってた。
それでニューハーフクラブに行くはずが、ニューハーフヘルスに面接行ったこともあるが
それはご愛嬌ということで(笑)
面接に受かったのは名古屋市の中心部にあるニューハーフクラブだった。
少しずつ女になる見た目と気持ち。そして行動
話をもどそう。
トヨタを辞めて私はニューハーフクラブへ就職して、働くことになった。
しかし、その頃はトヨタを辞めたばかりで、数日前までは男で生活していた。
当然ながらまだメイクも覚えていなかったし、女性の服も2〜3枚しか持っていなかった。
下着はメンズだったし、女性用の下着はまったく持っていなかった。
ニューハーフクラブで働くには、女性の服装で働く必要がある。
女性の服装を持っていなかった私は、ニューハーフの先輩たちに教わりながら
服装を女性モノに変えていき、メイクも覚えていった。
先輩ニューハーフ達はめちゃくちゃキレイな人ばかりだった。
「この人は生まれたときから女の子だったのでは?」
そう思えるような人も多く、体格も私に比べて華奢だった。
身長も小さいし、手も小さくて、足も小さくてかわいらしかった。
靴は当然ながら女性サイズが入るので百貨店などで買っているらしい。
身長が162cmくらいで体格も私より小さかったので、
市販の女性服が普通に着られるらしい。
そんな先輩でも「ニューハーフだから女性の服だと小さいのよね」
と、愚痴っていた。
明らかに私より細身で小柄な先輩がそうなんだから
私はもっと無理じゃないかと落ち込むことが多かった。
そうやって自分と先輩を比べてコンプレックスを大きくしていた。
その度になぜ柔道部に入ってしまったのか。
なぜ早い段階でホルモンできなかったのか
過ぎてしまった過去を悔やんでばかりいた。
しかし、先輩達は自分の置かれた環境を悲観することはあれど
前向きに工夫しながら生きていた。
とある先輩は、買ってきた服を自分で調節して
身体のサイズに合わせて着こなしていた。
「ニューハーフはね、一家に一台、ミシンが必須」
みたいなことも話していた。
これはお客さんから言われた話だが
「俺は身長高い女が好きだから、高いほうがいい」
と言われたこともある。
自分にとって女性とは小さくて華奢で可愛らしいもの
とばかり思っていたのだが
世の中を見渡せば身長がたかい女性もいるし、
痩せている女性、太っている女性がいる。
そして、痩せている女性が好きなひともいれば
太ってる女性を魅力的に感じる人もいる。
同じように、身長が高い人が好きな人、
小柄が好きな人だっている。
人の好みは十人十色だった。
私は自分が決めつけていた狭い価値観でしか
自分を判断してこなかった
その価値観にあわない自分は女じゃない
気持ち悪い、男だ、美しくない
そう思っていたのだが、実は違うのかもしれない。
世の中はもっと広くていろんな考え方
価値観があるんだと少しずつ気づいていった。
そんな私がニューハーフになって最初に猛特訓したのは
メイクの練習だった。
メイクが薄いと「すっぴんなの?」とツッコまれまくっていたし、
メイクが上手にできると、自分でもびっくりするくらい女性に見えたからだ。
今まで自分のことはずっと男だと思っていた。
服装を女性モノにしても女装してる男だとしか感じなかった。
「変態みたいだな」と思って女装にはなかなか手が出せなかった
けど、メイクは違った。
メイクをすれば、男の自分が女性に見えるようになる。
女性モノの服も似合っているような気がした。
この頃の自分を冷静に見ると、まだまだ女装している男のレベルだったと思う。
ホルモンは1年半ほどやっていたし、手術もしていたので、胸はあったが…
全体的な動きや仕草がまだ男っぽかった。
そもそも自分のことをまだ「男」だと思っている部分が強くて
女性扱いされることに慣れていなかった。
ニューハーフクラブで働いていると、来るお客さんによっては
ちゃんと女性扱いしてくれる人もいる。
しかも、けっこう多い。
そうやって女性扱いされることに当初は違和感がたくさんあった。
こんな体格がいい自分が女?
本当に女に見えるのか?
自分の心と周囲の反応のギャップが大きくて
いつも混乱んしていた、パニックだった。
でも、そのパニックが嬉しかったし楽しかった。
先輩達からは「動きが男」だとか「喋り方が男」とか
いろいろと指摘をたくさんしてもらった。
「ええ?こんな細かいことでも男っぽいの?」
毎日驚きと戸惑いの連続だったけど、楽しかった。
花嫁修業じゃないけど、女になる修行がとても楽しかった。
その頃の先輩達とは未だに連絡してる人がいる。
名古屋にいった時は一緒に食事にいったりする。
人生レベルでの親友と言っていいかもしれない。
同じ境遇うで生まれ育ち、同じ環境で苦楽を共にしたから
こんなに仲良くしてくれるのかもしれない。
コンプレックスの塊でも、女になることができた
そうやってコンプレックスや葛藤と戦いながら
私は見た目を女性に変えていった。
仕事でも日常生活でも女性として生きていくようになった。
女性の服装をするようになったばかりの頃は
スカートを履くことや、かわいらしい服装をすることに
ものすごく抵抗感と違和感があったが、少しずつ慣れていった。
男でいることには抵抗感があって慣れることはなかったのに
女性で生きることは違和感があっても慣れていった。
女の服装をするようになった瞬間
「私は女よ!」
と、堂々と生きられたわけではない。
テレビやエッセイで読むような
「小さい頃からスカートが履きたくて…」
そんな人間でもなかった。
むしろスカートは抵抗感が大きくて今でもあまり履かない(汗)
そんな私でも少しずつ、少しずつ時間とともに価値観が変化していった。
男っぽい女がいてもいいんだ。
背が高い女がいてもいいんだ
ごつい女がいてもいいんだ
スカートを履かない女がいてもいいんだ。
すこしずつ すこしずつ
私の心は変化していった。
その間に恋をしたり。
見事に振られたり
変な男に遊ばれそうになったり(汗)
それなりに女として生きてきた。
経験を重ねていって今は女性として普通に行きられるようになった。
女で生活してみると
新しいことばかりで、困ることもあるけど
その困ることひとつひとつが新しい発見と体験の連続で
楽しくて仕方がなかった。
今は男だった頃と比べると、精神的な苦痛も減ったし
自分の男らしさもかなり減ったので、
昔よりストレスなく健康に生きていると思う。
そうやって女で生きるのが当たり前になって9年が過ぎました。
男時代の記憶は前世の記憶だと思うくらい
遠い昔の他人の話のように感じています。
昔の自分を思い出してみると、考え方も生き方も
やってることもすべてが今の自分と違いすぎるからです
MTFにしかわからない感覚かもしれませんが
女で生きるのは楽しすぎます。
私は別にニューハーフであること、元男であることを隠してはいません。
ネットで顔出ししてますから、調べればスグにバレます。
実際、友達には元男だとばらしているので、
みんな私のことをニューハーフだと知っています。
でも、ぜんぜんニューハーフ扱いはしません。
普通に女性として扱ってくれるし、
女友達も女性として扱ってくれます。
流石に「え?手術したら生理もあるんじゃないの?」
みたいな話をされたときは驚きましたが(汗)
それくらい同じ女として見てくれてるんだと思います。
女になって変わるのは見た目だけじゃない
女で生きると、得なことがありますよね。
レディースデーとか、女性料金とか、女性専用車両とか。
でも、私はそんなことよりも、
もう男を演じなくていいこと。
身体の男の部分が消えたこと
自分の好きなように自分らしく生きていけること。
これが一番よかったことだと思います。
私の知人や友達にもMTFは多いのですが、
やっぱりみんな楽しく笑顔で生活しています。
知人の中には50代から女性になった人もいますが、
過去の写真と今の写真を見比べると顔つきがぜんぜん違います。
過去の写真はしかめっ面で無表情なのに、
今の写真は笑顔でニコニコしているものばかりです。
女性として生活するようになり、
興味がなかったファッションを勉強しはじめた
とか
女性になってから美容に目覚めた
とか
女性になってから海外旅行に行くようになった。
という人もけっこう居ます。
やっぱ今まで押さえつけていた気持ちを解放することで
心も身体も元気になって活動的になっていくんでしょうね。
私も、男だった時と今を比べると、
自分に対する自信も全く違います。
男時代は自分の声が嫌いすぎて歌も人前では唄えなかったし、
人前でスピーチするとかそういう喋る系全般が苦手でした。
でも、今はボイトレして女性声を手に入れたので、
平気で人前で喋るし、カラオケもよくいくし
YouTubeで喋りまくっています。
声へのコンプレックスが消えたことで、いままでやらなかったこと
できなかったことがどんどんできるようになっていきました。
人間的にも明るくなったし、笑顔が増えましたね。
そうすると周囲の反応も違うんですよ
昔は暗くて声が小さくて、おとなしい人間だと思われていたけど、
今は明るくて自信持っててハキハキ喋る堂々とした人だと思われることもあります。
そうすると、信用度も上がるので頼ってくる人も増えていきます。
ただ堂々とするだけで、人間関係もうまくいくし、
仕事や、お客さんとの対話もうまくいくようになります。
女になった後の人生は?
今、私は自分が男から女になった経験を活かして、
同じような境遇のMTFさんに向けて女性で生きる方法を伝えています。
あなたが今読んでいるこのサイトもそのひとつですね。
これは仕事としてやっているので、商品の紹介や
病院の紹介などもやっています。
そのほか、こういうサイトを作って学んできたことをもとに、
ビジネスのコンサルティングなどもやっています。
日常生活では、今は歌や楽器の演奏にハマってますね。
もともと声が一番コンプレックスが強かったので、
その反動で歌や音楽に興味持ったわけです。
沖縄の楽器である三線にハマり、三線サークルに通って
沖縄の人達と一緒に三線を演奏したり歌を歌っています。
三線サークルの人達には、まだ私がニューハーフであることは伝えていないので、
女性だと思われているようです。
女性だと思われているので、歌も女性パートを唄うんですけど、
特に問題なく女性パートを歌ってます。
数年前だったら、「そんな高い声出ないよぉぉぉ」
「女性声に聞こえなかったらどうしよう…」
などと悩んでいたんでしょうが、いまは余裕です。
声が女性になると、そういう女として当たり前にできることが
当たり前にできるようになるから嬉しいですね。
日常生活の中で「私は男なんだ」と
思い知らされる機会が超減ります。
まぁ、私はまだSRSが終わってないので、
服を脱いだら男だと思い知らされてしまうのですが(汗)
いまはそんなことにめげずに、SRS費用を稼いでいる途中です。
男が女になるなんて非常識かもしれません。
周囲の反対に会うかもしれません。
嫌われるかもしれません
でも、自分の人生を変えられるのは自分だけです。
自分の行動ひとつで、夢を叶えるか、苦しみに耐えながら生きるか?
選択することができます。
私は、人生は一度しなないわけだから、楽しく生きていきたい。
もっと女らしく自由にふるまいたいし、心も身体も豊かに生きていきたい。
そう思って行動しています。
非常識だのなんだかんだ言われてしまうかもしれませんが、
いざ、女になってみると周囲の反応は好意的です。
そこまで本気だったのか!と気づいてくれます。
人間は言葉よりも行動で人を判断するようです。
女になりたい、自分らしく生きていきたい!
と、言うよりも行動したほうがその望みは叶います。
だからこそ行動しましょう
自分が楽しく自由で幸せになる方向へ動きましょう。
とういのがこのサイトと私のコンセプトです。
物語おわり=============
昔はゴツゴツの毛ダルマゴリラでした
以上が私の物語です。
「みさきさんは昔から女っぽかったんでしょ?」
と、言われることがありますが、全くそんなことはありません。
体毛も濃くて体格も良かったし、声も低くて、仕草も男でした。
世の中には「女装」という言葉がありますが、
女性モノの服なんて小さくてぜんぜん着られませんでした。
そうか、身体が大きい人間はそもそも「女装」さえできないのか!
そう悟って生きていた時代もありました。
今では「足のサイズ28cm」なんですよ〜と
ネタ的に話すことがありますが、日本では28cmの女性用靴はありません。
そもそも作られてないのです。
「大きいサイズのお店に行けばあるんじゃないの?」
って言われることもよくありますが。
そもそも作ってないんです。
規格外なんです
女として規格外のサイズなんですよ。
それは遠回しに「お前は女じゃない」と言われている感覚になります。
幸いながら、アメリカサイズだと28cmのレディース靴があるので
輸入すれば私でも履けるレディース靴はあります。
ですが、日本の靴屋は全部無視です。
日本では私が履けるサイズの靴屋は存在しないわけです。
百貨店とか伊勢丹とかパルコとか高島屋に行っても
私は靴屋をガン無視するしかないわけです。
そうやって生きてると足がでかいコンプレックスこじらせまくって
落ち込んで自分なんて、価値のない人間だ!
なんて自暴自棄になることもあります。
今は減りましたが… たまに落ち込むこともあります
ちょっと熱くなっちゃいましたが、わたしはそんな人間でした。
コンプレックスが強すぎて、女装を諦めるわけです。
よくよく探せば、靴はなくても服くらいは着られるものがあるのに
コンプレックスが強すぎて服を探したり、服屋に行くことが恐怖でしかない。
少しでも女らしく見えるように努力することよりも、
落ち込んで腐ってしまうことを選ぶ
そういう人間でしたが、そんな人間でも変わることはできました。
実の所、
身長が高いとか、体格が良いから男ってわけじゃないんですよ
海外に目を向ければ身長180センチの女性が珍しくない国がある。
28センチ以上のレディース靴だって売ってる。
男性よりも体格がいい女性だってごろごろいる。
日本の服の規格は海外に比べて小さいだけなのです。
ただ、日本の規格に合わないってだけで
コンプレックスこじらせて腐る必要はありません。
実際のところ、日本の服の規格は時代遅れで
生まれながらの女性でも、服のサイズが小さくて困っている
という人も多いようです。
その影響もあって今では「トールサイズ」など
身長が高い女性向けの服も少しずつ増えています。
ちょっと私達は時代の最先端を走っていただけで、
日本が出遅れていただけなんだ。
なので、落ち込む必要もなければ、
自分を責める必要もないわけです
だから堂々と行動していきましょう。
「女性になりたい」
その気持は一過性のものではなく、きっと今までの人生の中でずっと悩み
何度も自問自答しながら出した答えなんだと思います。
私は中学の3年間を自問自答に使いました。
人によっては「20年、30年悩み続けた」という人もいらっしゃいます。
テレビやマンガ、エッセイで見るような
「物心ついたときから」という人ばかりじゃないのです。
なりたい夢や、やりたい目標があるのならどんどんチャレンジしてみましょう。
人生は一度しかないし、短いものです。
自分の人生をどう組み立てていくか?
それは自分にしかできないことです。
他人の言うとおりにして組み立てた人生は楽しかったですか?
楽しくなかったのなら、自分で組み立ててみましょう。
わたしはメールマガジンのなかで、女性で生きていく方法や
女性で生きるために必要なものを具体的に話しています。
今までトータルで1000名近くの方が登録されています。
メルマガを読むのは無料ですし、いつでも自由に解除することができます。
毎月のようにメルマガ読者さんからは
「役立った」とのメールを頂きますし
メルマガがキッカケで戸籍変更まで進み、
今では女性として生活している人も大勢います。
メルマガでしか話さない話しもしていますし、
メルマガ読者限定のイベント企画もあります。
ここまで読んで下さったあなたにとっては、
登録して損することはないと思います。
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是非とも受け取ってみてください。
あなたの女体化に役立てると思います。
追伸
私のことを更に詳しく解説してるレポートがこちらです。
それなりに人気みたいです
リクエストがありましたので、私のもう一つのブログもご紹介します。
こちらは、私がやっているネットでのお仕事について書いています
ネットを使ってお金を稼ぎたい!収入を増やしたい!
という意見を多くいただきましたので、収入UP方法について話しています。
そのほか、YouTubeでも収入UPについて語ってます。
FacebookはやってないけどTwitterはやってます。
病院の紹介について
身体の中の男性ホルモンを止める手術に睾丸摘出手術があります。
SRS手術と違って、この手術を受けただけでは戸籍を女性にすることはできないのですが
「男性化を食い止めたい!」
ということで手術を希望される方がものすごく多いです。
毎年何十名の方々から紹介してくれとの依頼がくるので、
メルマガ読者限定で紹介しています。
私が実際に睾丸摘出手術をうけた愛知県名古屋市の病院です。
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管理人自己紹介とコンセプト記事一覧
自分のために行動しないと損ばかりだから気をつけて
こんにちはスザンヌみさきです。そうです、このサイトの管理人です。男に生まれたけど、今は女性として生活しています。男から女になるために今まで色々やってきたんですが、「こんな考え方だと実は損するんだな…」と、発見がいっぱいあったので、ここに書き連ねます。過去の私はコミュ障で本当に損ばかりしてました。友達...